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プライムソトワール(味へのこだわり) 料理・洋菓子のレシピ スペシャルインタビュー ソトワールコンシェル 出版図書紹介 フランス料理:用語集 食の雑学事典
日本のイタリア料理業界をリードし、実力派の料理人を輩出してきた「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」のオーナーシェフ落合務氏。1997年のオープン以来、今もなお繁盛店であり続ける「ラ・ベットラ ・ダ・オチアイ」。若手料理人にとって常に憧れの存在であり続け る落合氏にお話を伺った。
フランス料理の料理人であった落合シェフが、イタリア料理に傾倒していった理由についてお話ください。
落合 1976年、当時ざくろグループの社員だった私は、フランス料理の勉強をしたいと思い、渡仏しました。航空チケットの関係で偶然イタリアに行ける機会があったので、ローマに立ち寄ったのですが、その当時、日本では西洋料理イコールフランス料理だった時代で、イタリア料理、ドイツ料理等は、その他各国料理とひとくくりにされていて、日本でも専門店があまりない状態でした。イタリアで初めて口にしたイタリア料理を最初は“センスのない料理だなあ”と思っていたのですが、4日間食べ続けている内に「イタリア料理は日常的に食べられておいしくて飽きない」ということに気づいたのです。帰国後、ざくろグループの当時の桂洋二郎社長にイタリア料理を勉強したいと申し出ると、「好きなだけ勉強して来い」と言われ、1979年からイタリアで修業することになりました。初めはセンスがないと思っていましたが、厨房でまとまりや流れのあるイタリア料理が出来上がっていく様子を見ている内に、「これがイタリア料理のエスプリなんだ」と納得するようになりました。彼らはどんな仕事でも誇りを持ってやっていましたし、どんな仕事をしていても人間は平等だと思っているから、食事の時は社長も何も関係なくアミーゴ(仲間)としてファーストネームで呼び合います。料理に関しても包み隠さずに全て教えてくれましたし、内面的にも学ぶことが多かったですね。帰国してからそんな態度でいたら「かぶれてる」と言われましたが、自分の店を持つようになったら、仕事の時は上下関係があっても、仕事を離れたら人間同士として平等な関係でいたいと思い、実際にスタッフとはそのように接してきました。
イタリア人の料理に対する保守性にも驚きました。旅行の楽しみの1つにその国の料理を食べることが挙げられると思いますが、イタリア人は、どの国に行ってもおいしいイタリア料理がどこに行けば食べられるかを最優先に考えます。また彼らにおいしいレストランを知っている?と尋ねると平気な顔をして妻の料理や母の料理と答えます。それだけ自国の料理に誇りがあるのです。1981年に帰国し、1982年、東京・赤坂に「グラナータ」(経営:ざくろグループ)がオープンしました。イタリア人客が多かったので、彼らに認めてもらう料理を作るために様々なオーダーに応えました。今と比べてイタリアの食材やオリーブオイル、ホールトマトなども種類が少なかった時代ですからイタリア人が求める味を再現するのは難しいことでしたが、今振り返ると、その時に試行錯誤した経験が自分を育てたと思います。開店から5年目には、在日イタリア大使館からイタリア建国記念日(6月1日)に500人分のパーティーのオーダーが入るようになったのです。店は繁盛していましたが、バブル景気も追い風となり、客単価が約2万円の高級店になってしまい、自分がやりたい方向性とのズレを感じ始め、1996年に店を離れることにしたのです。
現在、ラ・ベットラ、ラ・ベットラ・ビスと近い場所に2店舗を出店されていますが、使い分けはされているのですか?
落合 1997年9月に「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」をオープンしたのですが、開店当初はそんなに忙しくなかったので、近所の方がお皿を持って注文に来たり、ホームパーティーに呼ばれて調理したりということもありました。元々、この場所に店を出したのも、地域密着型ということが考えにありましたので、楽しかったです。店でも隣のテーブルの人同士が仲良くなったりして私がやりたかったのはこういう店だなぁという感じで、いい雰囲気でしたね。そのうち予約が取れなくなってきて10月末の時点で年内の予約は一杯でした。ランチタイムには朝8時位から並ぶ方もいて、100名以上が行列を作っていました。最初はそのままにしておいたのですが、さすがにお客さまにも近所の方にも迷惑になるということで、朝10時に店の前にボードを出して、11時30分、13時、13時30分と希望する時間のところに名前を書いてもらい、時間が近くなったら戻ってきてもらうというシステムを考えたのです。店が銀座のはずれにあることも幸いして、名前を書いた後に時間を潰す場所には困りませんから、お客さまにご理解いただけたのかなと思っています。今でも週末はボードに名前を書くための行列ができることもあります。
2002年7月にオープンした「ラ・ベットラ・ビス」は、本店の予約が取れないというお客さまの声が高まったために本店のすぐ近くに造りました。ビスを気に入ってくださる方も多いですし、本店に入りきれないお客さまをご案内することもあります。客層は、本店、ビスともに20代、30代の方が中心ですね。繁盛する理由についてはよく質問されるのですが、お客さまと従業員のことを考えて毎日一生懸命やってきただけです、としか答えられません。
落合シェフがイタリア料理におけるプリフィクススタイルを最初にとり入れたイメージがありますが。
落合 プリフィクスコースというのは、元々フランス料理店ではよくあったんです。これをイタリア料理に採り入れたらいいなと思ってやってみたのです。料理によって価格をプラスしていくのではなく、3800円と価格を明確にして、どの料理を注文しても価格は一定にするのが潔いと思い、そのようにしました。グラナータの半分の価格でクオリティを下げずに提供すれば、お客さまの支持を得られると信じていました。価格は仕入れ努力次第で抑えられますし、身体を使う分には原価がかからないですからね。開店から9年目に入りましたが、オープン当時より原価、人件費、家賃も上がっていますし、お客さまからも「価格を上げた方が予約が取りやすくなって良い」と正直なお声を頂くこともありますが、現在値上げするつもりはありません。
数年前のイタリア料理店出店ラッシュを経て、現在イタリア料理店の店舗数が非常に多い状態ですが、それに関してお考えはありますか。また今後の出店のご予定はございますか?
落合 「もうかるからイタリア料理店を出す」という風潮は良くないと思います。息の長い商売をするためには、オーナー、シェフ、支配人、スタッフそれぞれがイタリア文化を理解しないといけないでしょう。今は店の数ばかり多くて、人の成長が間に合っていない状態です。焦らずに丁寧に勉強してから店を出しても遅くないのではないかと思いますし、店を始める人にはそのようにアドバイスすることもあります。人を納得させられる技術や知識を身につけないと勢いだけでは経営は長続きしません。また、お客さまに何回も来てもらうためには、料理だけでなく、魅力のある人材がいないとだめです。東京・西麻布にある「ラ・リングア・オチアイ」は以前当店にいたスタッフに店を任せているのですが、お客さまを心からもてなす若いスタッフが一生懸命やっていて手前味噌ですが、いい店だと思います。料理に関しては「いつもと同じ味ね」と言われると嬉しいけれど、気温や湿度は毎日変化するので、毎日同じことをやっていたのでは、いつもと同じようには仕上がりません。知識と技術はだれでも勉強すれば身につきますが、感性は1人1人違うので、センスの良い人を見つけて真似をし、いつか自分のものにしていくことが大事だと思います。今後の予定としては、平成19年には名古屋市千種区高見の街作りプロジェクトの一環で、JR東海の社宅跡地に新しく建設するマンションの住民をメインターゲットにした50坪の1軒家レストランの出店が決まっています。今はその店を任せる人材を検討いている状態です。
落合シェフが師と仰ぐ方はどなたですか。
落合 ざくろグループの桂洋二郎氏ですね。桂氏がよく言っていた「仕事は私(桂氏)のためでなく、自分の知識や生活水準の向上のためにしなさい」という言葉が印象的でした。1994年8月に亡くなってからは特に、その存在の大きさに気づかされました。同社に勤めていた頃の私のパワーの源は、彼を喜ばせたい、驚かせたいという思いだったのです。「グラナータ」は1982年にオープンして、約2年後には予約が取れない店になっていたのですが、ある日桂氏が外国人と話していると、その人が東京にすごくおいしいイタリア料理を食べさせてくれる店がある、と言ったので名前を聞くと「グラナータ」と答えたそうです。桂氏は狂喜乱舞してすぐに店に電話を掛けてきました。後日、以前に私が欲しいと言っていた車を覚えていて、その車が贈られてきたのです。「凄いことするなあ」と思ってビックリした記憶があります。
現在の私の根幹となる考え方である「ターゲットはお客さまと従業員」は、桂氏の教えから生まれたものです。当店でも調理師学校を出た若い料理人が8名入社しても、1年経つとその内6名が辞めてしまう状態です。若い内は体力面を鍛えることも大事ですが、精神的にも強くなるために、うちのスタッフには常にいろいろな話をしています。私もそうでしたが、調理師になって3〜5年目の人は先輩達の苦労話やそれを乗り越えてきた話を聞きたいのではないでしょうか。桂氏から教えられた言葉を現場で一緒に汗を流しながら、若い人たちに伝えていくのも私の使命ではないかと思います。
本日は貴重なお話を頂きましてありがとうございました。これからの更なるご活躍をお祈りしております。
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ラ・ベットラ・ダ・オチアイ

東京都中央区銀座1-21-2
TEL.03-3567-5656
■営業時間 11:30〜14:00、18:30〜22:00
   (土曜、祝日は18:00〜21:30、要予約)
■定休日 日曜、第1・3月曜
■アクセス 地下鉄銀座一丁目駅から徒歩6分
ラ・ベットラ・ビス

東京都中央区銀座1-27-8
TEL.03-3567-5657
■営業時間
      11:30〜14:30(L.O.)
      18:30〜22:00(L.O.)
      土曜、祝日18:00〜21:30(L.O.)
■定休日 日曜、第2・4月曜 ※夜のみ予約可
■アクセス 地下鉄新富町駅より徒歩5分
■席数 テーブル18席
■ランチ2,000円 コース3,700円

※ラ・ベットラ(=食堂)をビス(=おかわり)!
Profile
東京生まれ。
1965年、ホテルニューオータニ入社しフランス料理人をめざす。
1972年ざくろグループ入社
フランス料理の料理人としてフランス国内の食べ歩きの旅に出たが、帰国途中に立ち寄ったイタリアの料理に魅せられ、その後イタリアで料理修行を積む。(79年〜82年)
帰国後、赤坂にオープンしたイタリア料理店「リストランテ グラナーダ」の料理長に就任。
本場さながらのパンチのきいた料理は、在日イタリア人からも大きな評価を得る。
1997年9月、銀座『 ラ・ベットラ・ダ・オチアイ 』のオーナーシェフとなる。
現在は「予約のとれないレストラン」と呼ばれる人気店。
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